本日、ジパツーの発売日です。
そして、突然ですが、ジパツーは今月号で休刊となります。97年創刊から13年間、通算120号続いた雑誌でした。
あまりに急な話なので、ぼく自身も、なんだかまだ実感が湧いていません。そろそろ、次号の取材準備しなきゃなあ、って気持ちになります。
ラストということで、今月は、一番得意な「奈良」の「桜」で誌面を飾りました。ぜひぜひ、ご覧になってください!
思えば、フリーになって最初の仕事が、ジパツーの「関西の桜特集」だったんで、桜に始まり、桜で締めたという形です。
思い返せば、初めてジパツーに載ったのは、2000年第20号の九州ツーリングレポ。その後、第22号の「ツーリストマップ西日本編 紀州ツーリング」で、初めて原稿料をもらう記事を書きました。なので、初ジパから、もう10年たつんですね。早い早い。
それから1年のブランクをはさんで、02年2月の第36号「桜ロードを行く 関西版 桜便り」で、フリーライターとしてデビューしました。
第39号からは、ツーリストマップWEST(現ジパングマップWEST)を担当し、あっという間の8年間でした。
ジパツーのおかげで、たくさんの人と出会えたり、声をかけてもらったり、キャンプをしたり。ホンマに楽しかったです。ありがとうございました。
さて、今月は編集後記が無くて、読者の皆さんへ、お礼の言葉を載せることができませんでした。ぼく自身の編集後記は書き上げてあったので、『幻の編集後記』として、ここに掲載します。
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ジパツーと共に走って、あっという間の10年。ジパングマップWESTを81本。たくさんのライダーと出会い、キャンプして、一緒に笑い、楽しい時間を共有できました。本当にありがとうございます。
アクロスと哲の旅は、38万km先の月まで、まだまだ続きます。
それでは皆さん、どこか旅の空の下でお会いしましょう!(てつ)
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おそらく、ジパツーの最古参はのり平さんで、次がおいらだと思います。のり平さんは、もうすぐ連載100回だったと書かれてましたから。おいらのジパマップは81回でしたからね。
ジパマップWESTは、担当編集が固定しなかったので、歴代の編集部員とは全員1度は仕事をしたことがあります。唯一、現編集長のうえしんさんとだけは、仕事できなかったんですよね。惜しい。元編集長のマロ吉さんとは、何度か編集長自ら担当してくれましたから。
歴代編集部員を思い返せば、かっつん、ビッケ、王子、こじ、あちゃの第1期、ふじこ、りー、ちゃこ、かかし、りょうの第2期、そして、もっこす、ラッシー、まんごく、オノケンの第3期(全て敬称略)という感じでしょうか。こうやって名前をあげていくと、いろいろ思い出しますなあ。
一緒に徹夜した人もいたし、個性的な人もいたし、おいら自身としては、担当が固定されるより、いろんな人と仕事できて、楽しかったっス。
おいら一人、大阪で作業してるもんで、編集部とのコミュニケーションが少ないんですよね。だから、原稿のやりとりをしながら話しをするのが、とても楽しみでした。
特に第2期の、レディースを笑わせるのが楽しみでねぇ。電話をかけるたびに、相手が女性だと、わざと超低音の声で「だげだでず」と、イタ電みたいなことしてました。(笑)
思えば、編集部員じゃないのに、ずっと編集後記を書かせてもらってたんですよね。初めは、今回だけ? いつ終わるのかな? 今回も書くの?って思ってたんですが、終わることもなく、最後まで、ずっと書かせてもらいました。これは嬉しかったなあ。毎回、何書こうか、楽しみでしたから。(つづく)
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おいらは何度か、特集ページに顔を出してますが、ほとんどが元々の企画にはなかった押しかけ乱入です(笑)。
りーさん、のり平さん、S野カメラマンの伊賀取材では、月ヶ瀬のいのしし鍋現場へ乱入しました。いのしし鍋食べるって聞いて。これが、しし鍋です。
ホントは鍋だけ食べるつもりで行ったんですよ。そしたら、近くの健康ランドに泊まるっていうんで、現場の楽しさに勢いが付いて、そのまま一緒に宿泊。
露天風呂の照明をバックに、湯煙を立てながら仁王立ちするS野カメラマンのシルエットは忘れられませんなあ(笑)。
ちゃこの丹後取材の時は、おいらがすぐ近くで取材してたので、そのまま乱入しました。
立岩のある砂浜で、おいらがメガネ落とすってハプニングがあってね〜。あれは、おいらが無意識のうちに、ちゃこのバイクの荷台にメガネを置いたのが悪いんですよ。なのに、ちゃこは、おいらより一生懸命探してくれたんです。
あの時、ちゃこはホンマにエエやつやなあ、って思いました。しかし、おいらはなんで他人のバイクの上にメガネを置いたのやら???。ナゾのままです(笑)。
ふじこの大阪取材は、あれだけ写ってるにも関わらず、実は乱入でした。最初は、道案内したるよ〜という気持ちで行ったんですが、テレビ取材でご一緒した土建屋よしゆきさんとワイワイお話してるうちに、一緒にフレームイン。
銭湯のシーンでは、タオルで隠してたはずが、いろいろ写ってたみたいで。デジカメ800万画素、恐るべし!です(笑)。
ふじこから送られてきた銭湯写真には、ナニがナニしてたんで、黒塗りにして送り返したら、それが掲載されちゃいましたね(笑)。
ふじことはもう1回、淡路島の特集がありますね。あれだけは乱入じゃなかったんですが、12月末だったため年末進行でWESTのスケジュールがカブってしまい、途中1日大阪に帰って、また淡路島に行くという強行スケジュールでした。
レポートでは、途中でおいらが行方不明になった、という話しになっていましたね。行方不明にならなかったら、ふじことの入浴シーンがあったって、後から教えてもらって。そういうのは、先に教えてくれよん(笑)。
旅のラストでは、松ぼっくり持って、ふじこにプロポーズしてましたなあ。花でもあればよかったんですが、冬なのでどこにも無く、目の前にあった松ぼっくりで……。今でも、ふじこと会うと必ず出てくる笑い話です。
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本棚を掘り返してみたら、出てきました第2号が。97年だから、まだ、おいらがリーマン時代。確かバイク用品のショップで見つけた覚えがあります。ツーリングマップルと同じ大きさならライダーが持ち運びやすいなあ。280円って安いなあ、と思った覚えがあります。
この初代編集長が高木さん。後に、ツーリングGO!GO!を立ち上げて、同じ判型のツーリング雑誌が2冊本屋に並ぶっていう時代が訪れるんですよね。2冊で発売日を競って、繰り上げたこともありましたなあ。そのたびに、締め切りが早くなっていくんで「今月は変わってないですか?」って毎月確認してました。
さてさて、おいらのデビューはいつだったかと振り返ると、第20号のツーレポを経て、記事としてデビューは、第22号の「ツーリストマップ西日本編・紀州ツーリング」でした。のり平さんの連載第1回が第26号だったんで、登場順だとおいらの方が古いんかぁ。いやはや、ビックリです。
ツーリストマップっていうのは、ジパングマップの前身で、これを5本やりました。2足の草鞋を履いてた頃ですなぁ。
その時は、秋元編集長の時代で担当は関野さん。順調に進行しているのを知っているのに、わざと夜中にFAXを送ってきて、妙なイラストと一緒に「早く書くのよ〜、ぶぶぶぶぶ〜」ってメッセージが書かれていて。夜中なのに、大笑いしちゃいましたよ。
この頃には『南の島ガイド』や『桜ガイド』も書くことができて、自分の持ち技をどんどん出してるって感じでした。
桜は、2回ほど特集でガイドしたんですが、その後はジパマップWEST内に取り込んで「桜道シリーズ」として、毎年紹介するようになりました。読者の方から、これを参考に桜ツーリングをしましたって聞くと、メッチャうれしかったですねぇ。(つづく)
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ジパマップWESTの話。
WESTで西日本の津々浦々を紹介してきたんですが、2県だけ行けなかったところがあります。それはどこでしょうか?(ジパWESTカルトQ)
正解は、山口県と佐賀県です。どっちも企画提案はしたんですけどねー。山口、佐賀共に、北九州までフェリーで行って、福岡と2本撮りという旅を提案していました。
山口は角島大橋が架かってすぐに狙ったんですが、りーさんが特集で先に紹介しましたね。さすがは、りーさんの出身地。フットワークが良かったです。
佐賀は、何度も手をあげました。吉野ヶ里遺跡と呼子のイカがやりたくってねー。イカの旬の時期ばっかり狙ってました(笑)。
それでは、ジパWESTカルトQ、第2問。
WESTのタイトルである「XX道」シリーズ、最初のタイトルは何?
答えは「さぬき麺道」。香川県の回で、第62号でした。以後、最後までずっと「XX道」ってタイトルを付けましたね。この「XX」ってタイトルは、いつも実際に旅をして一番印象に残った文字を入れるようにしてました。
想いが強すぎて、難読なのもありましたなあ。「熊野美海道」は「美ら海(ちゅらうみ)」と読ませたかったんです。熊野の海が、まるで沖縄のような美しい色だったのが理由です。
タイトルで気に入ってるのが「徳島らー麺道」。これは、りーさんと考えました。文字数が6文字までなんで「らーめん道」にできず、なんとか目立つ方法はないか、と考え出したのが「らー麺」でした。徳島ラーメンは感動的に美味かったですからねー。
もう一つ気に入ってるのが「大山快道」。大山(だいせん)ツーリングで走ってる間、ほんとに気持ちよかったんですよ。なので「快道」と名付けました。
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ジパツー『Cut the West』の話。
ジパマップWESTが、昔は15頁もあったの、ご存じでしょうか? ガイドが7頁、マップが8頁のボリュームでした。
それが全部で7頁になった時、減った分のプラスアルファをってことで始まったのが、1頁1枚写真の『Cut the West』。最初の2回は準備が間に合わず、横写真2枚
構成していました。
03年〜05年の22回掲載されたんですが、思い出のベスト3をご紹介!
なんといっても、1番の思い出は、左端の『メットインボーイ』ですねー。アクロスと小坊主君のナイスコンビでした。
真ん中は、さぬき麺道の一コマ。小雨振る中、さぬきうどんの外でも食べるワイルドさを現してみました。濡れながらの撮影で大変でしたなあ。
右端は、アクロス20万キロ記念、奈良県広陵町の一コマ。巨大なかぐや姫と一緒に撮影したんですが、これがアクロスの「38万キロの月まで行こう!」に繋がりました。
1頁1枚シリーズが終了後は、WEST内で「ミニCut the West」を続けました。その最初が、敦賀で撮った銀河鉄道999・メーテルとの別れのシーン。
これは映画のシーンを思い出し、ゴダイゴの曲を口ずさみながらの撮ってましたから、メチャ面白かったです。でも、夜の撮影で、近くに酔っぱらいがいてねぇ。乱入されたら、どうしようかとハラハラしたのを覚えています。
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